本日はINASOFT 900万アクセス記念企画ということで、「振り返り」をしてみることにしました。
今日は色んなところで色んな「振り返り」をしておりますが、ここではフリーソフトの配布というところに観点を置いて、振り返ってみたいと思います。
フリーソフトは作って配布するモノ………そんな勝手な考えが、僕の中にはありました。
フリーソフトというものを初めて意識したのは、小学校5年か6年くらいのときだったと思います。当時はまだ珍しかった、パソコンを親に買い与えられた(というか、あれは家の持ち物ですね)ことに始まります。
当時はまだ、一家に一台のPCが置かれるような時代ではなく、かなり先進的な感覚を持ってPCに接していたと思います。
そんな僕の家に、どうしてPC画置かれるようになったかというと、
と、そんな感じ。そんなこんなで、パソコンを手に入れることになったわけです。
さてさて、パソコンを手に入れてから数ヶ月。パソコンというのは、当時は「ソフト無ければタダの箱」と言われていたくらい、ソフトウェアが不足していた時代でした。「無ければ自分で作れ」とばかりに、PCには「N88 DISK BASIC」が付属しており、それを使ってプログラミングをしていたわけです。
で、当時からパソコン雑誌というものが売られており、それを買ってこよう、ということになりました。手に取ったのは「I/O」(工学社)という雑誌です。
この雑誌には、付録としてフロッピーディスク(当時は5.25インチ)が付属しており、その中に、様々なゲームやお役立ちソフトなどが入っていました。フリーソフトやシェアウェアです。
当時、僕の家にあったパソコン用ゲームと言えば、その雑誌で手に入るようなものしかありませんでしたから、「ああ、こういうのって面白いな」と自然と思いました。
そして自然と、「そうだ、僕の目標は、こういう雑誌に自分のソフトを載せることだ」と思うようになり、だんだんと大きく成長していきます。
夢が果たせたのは、たしか、大学入試に失敗した、浪人中のことだったと思います。
「DOS/V POWER REPORT」という雑誌に、当時、「のえるねっと」と「東京BBS」(どちらもパソコン通信)で配布していたフリーソフト、「疑似シリーズ」を載せてもらうことになったのです。当時は飛び上がるほど喜びました。
その後、ツール系のソフトも製作するようになって、それが「DOS/V POWER REPORT」「CYBER GLOBE」「テックウィン」等様々な雑誌に載るようになりました。夢が実現していって、うれしかったですね。
現在、インターネットの発達により、パソコン雑誌にフリーソフトが付属されることは、ほとんどなくなってしまいましたが、フリーソフトの転載の喜びというのは、そういったことを出発点にして、僕の心に染みついているような気がします。
ああ、まだ書き足りないけど、今日はここら辺で。